世界のニュース


金曜日は職場の送別会でした。
2年前に銀行から出向されてきた部長。
職場ではもちろんのこと、
ひょんなことで、
互いに大学時代に入っていた部活が同じだったと知ってからは、
毎月のように飲みに誘っていただいて、
大変お世話になりました。


送別会では司会をつとめさせていただきました。
終宴後、
上司の方々から口々に、
「上手だね」
と声をかけていただき、
胸をほっとなでおろしながら、
頭にふっとよぎったことは、
「ちゃんと演れたかな」
ということでした。


こういった歓送迎会や結婚式の二次会などで、
司会をつとめさせていただく際に、
いつも感じることは、
自分のなかにあるのは、
「司会をやろう」
という気持ちよりは、
「司会者を演ろう」
という気持ちだということです。
そのためか、
「上手だね」とか、
「ちゃんとしてるね」とか、
そういった言葉をかけられると、
ありがたく思うのと同時に、
どこか後ろめたい気持ちも湧いてきます。
自分としては、
「それ」をやったのでなく、
「それっぽい」を演じただけだという、
気持ちがあるからだと思います。


とは言えそういったことは、
大なり小なりどんな人にもあるのではないでしょうか。
「誰か」や「なにか」を演じていること。


「楽しいあなたが好きだった」
そんな言葉とともにふられたことがあります。
もう10年以上も前のことなので、
今じゃさらっとさらしたりもできますが、
当時は、
それから何日もの間、
一日の間に何度も、
ニュース速報のように、
その言葉が、
頭をよぎっては
頭を抱える
そんな毎日でした。
今よりもっと自分に自信がなくて、
けれどもそれと同時に、
すぐに「誰か」や「なにか」を演じようとする自分も嫌で、
そんな自意識過剰自尊心未満な自分の胸に、
彼女の一言は、
炎のストッパー津田恒美のストレートばりに、
重く痛烈に響きました。


それから、
いろんな人に出会って、
いろんな自分に出会って、
気付いていったことは、
こうしてあらたまって書くのもまぬけなくらい
シンプルなことですが、
いつも、
いつまでも、
自分は自分だということです。
楽しいときも悲しいときも、
部屋でひとりごと言ってるときも、
一万人の前でしゃべっているときも、
どうしようもなく自分です。


「誰か」や「なにか」を演じている自分。
それだって自分です。
自分じゃない「誰か」を演じる自分。
自分にない「なにか」を演じる自分。
それはなりたい自分になろうとする自分です。


ただ、
「なりたい自分」になろうとすることと、
「見られたい自分」になろうとすることは、
似ているようで正反対のことだよなとも思います。
どちらも「思うようにはいかない」ことに違いはないけど、
後者はうまくやろうとすればするほど、
そのうち自分だけじゃなく親しい人たちの心まで、
見失ってしまうことのように思います。
僕にもあります。
背伸びして傷ついてしまうこと、
背伸びして傷つけてしまうこと、
どちらもあります。



先日観たこの対談。
「なりたい自分」になろうとし続けること。
そんな自分を「見せ続ける」ことで「魅せ続ける」こと。
イチローはほんとにかっこいいです。


てなことを、
今週のニュースを見ながら考えたりしました。
昨日までの出来事なのに「ニュース」と呼ぶのは、
今日からの自分に起こりうることだからじゃないでしょうか。
大きなことであれ小さなことであれ
ホントであれウソであれ。
大好きなドラマ『セクシーボイスアンドロボ』にある台詞のとおり、
僕たちは「この世界にどうしようもなく関わっている」のだから。


ある日、
部長と飲んでいる際、
「今でも(落語を)やりたくなったりしますか?」
と聞いてみたところ、
部長はこう言いました。
「毎朝、湯豆腐を肴に熱燗飲んでた生活から、
 毎朝、株価の動きを気にする生活になると、
 やろうっていう気持ちは起きなくなるなぁ」
世界にはいろんな自分がいるんだなあと思いました。